鈴木孝幸

2021年に東京パラリンピックの水泳で、金と銅のメダル計3つを獲得した鈴木孝幸選手。

実は鈴木孝幸選手は、2004年のアテネパラリンピックから5大会連続で出場しているんです!

そんな功績を残す鈴木孝幸さんを育てたのは、祖母の小松洋さん。

「祖母」と言われていますが、本当は「里親」であり血は繋がっていないのです!

そんな祖母・小松洋さんは一体どんな人なのか気になりますね!

小松洋さんは、どんな人柄でどんな信念を持って鈴木孝幸選手を育てたのでしょうか?

今回は、そんな小松洋さんのすべてをまとめてご紹介します!

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鈴木孝幸の祖母はどんな人?

出典元:cogito

鈴木孝幸選手の祖母として広まっている小松洋さん。

先述したように、実は血の繋がった祖母ではないのです。

それではどうして小松洋さんが鈴木孝幸選手と出会い、育てることになったのでしょうか?

過去にさかのぼって調べてみました。

鈴木孝幸選手は、1987年1月23日に聖隷三方原(せいれいみかたはら)病院で誕生。

鈴木孝幸選手は先天性四肢欠損で生まれてきました

そんな子供の将来を案じ絶望したのであろう両親は、まだ幼い鈴木孝幸選手を置き去り、失踪。

当時、聖隷関係のわかば保育園の園長をしていたのが小松洋さんでした。

そして、鈴木孝幸選手を養育する決心をしたのが小松洋さんなのです!

保育園の園長をしていて子供に理解や経験のある人だとしても、この決心はなかなかできることではありませんね!

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鈴木孝幸の祖母・小松洋は元保育園の園長!

鈴木孝幸選手の祖母となり里親となった小松洋さんは、わかば保育園の元園長先生でした。

調べたところによると、2015年4月からは新しく「聖隷こども園わかば」となったようですね。

こちらの保育園は、

時代とともに変化していくこともありますが、キリスト教の精神を保育の基本理念とし、一人ひとりが大切にされ、人格形成の礎となる大切なこの時を豊かな保育環境のもとで過ごし、子どもの未来を創っていきたいと思っています。

引用元:聖隷福祉事業団

という理念のもとに成り立っているようですね。

そして、この若葉保育園で鈴木孝幸選手も幼少期を過ごすことになったのです。

「子どもたちの”今”が未来を創る」保育園の理念通り、鈴木孝幸選手はあらゆる経験をして過ごします。

当時の保育園に通われていた方が

まだ、園にきたばかりの鈴木くんが、とても印象的でした。
四つんばいで、みんなと、一緒に、縄跳びをしていました。
園長先生も元気かな?
よく子供の頃、怒られましたが、子供にも、厳しく甘やかさないけど、優しい園長先生でした。

引用元:なりブーログ

と、鈴木孝幸選手や小松洋さんのことを語っていました。

鈴木孝幸選手の現在の活躍は、このわかば保育園と小松洋さんの理念が土台になっているのですね!

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鈴木孝幸の祖母・小松洋の育児法は「自立」!

出典元:GOLDWIN

鈴木孝幸選手の祖母となり里親となった小松洋さん。

そんな偉大な決心をした小松洋さんの育児法も、やはり偉大なものでした。

小松洋の育児法は「自立」

小松洋さんは鈴木孝幸選手を特別扱いせず、普通の子並みに育てたのです。

「自立」させるための育児。

親ならだれもが最低限目指すものでしょう。

しかし、それは想像以上に簡単ではないのです。

子育て経験者なら分かると思うのですが、大人がやってしまった方が何でも早いのです。

結果、子供の自立や成長を妨げてしまうことは少なくありません。

しかし、小松洋さんは何でも鈴木孝幸選手自身にさせたのです。

相当の忍耐と愛情が必要だったと思います!

小松洋自身の覚悟も

小松洋さん自身も、鈴木孝幸選手の養育のために園長を辞めたそうです。

名字もわざと違う姓のままで「養子」ではなく「里子」として育てています。

また、小学校入学のことも考え自動車免許を取得

鈴木孝幸選手の身の回りの世話から、食事、学校の送迎。

手足の長さの違う鈴木孝幸選手に合わせて買ってきた服の調整。

すべてを女手ひとつでこなしてきました。

小松洋さん自身も覚悟を決めて、養育に全人生をかけたのですね!

小学校に上る前に、市教委から養護学校への話も出たそうです。

しかし小松洋さんは、これまでも普通の子並みに育ててきたのだからと普通の小学校入学を希望。

結果、鈴木孝幸選手は浜松市の三方原小学校へ入学することになりました。

すべては「自立できる大人にするため」

出典元:東京新聞

学校側も、階段やトイレなどの設備の変更は一切しなかったそうです。

鈴木孝幸選手は小さな頃から運動が大好きで、友達と同じことを何でもやってきました。

トイレも階段も、すべて自分でできたそうです。

「水泳は一番自立心が養えるスポーツ」であるとして6歳から鈴木孝幸選手に水泳を習わせています。

遠足も手に靴をはめて歩き、鬼ごっこもかくれんぼを取り入れて参加し、運動会も他の子と同様に走った。

将来の夢を聞かれ「僕はサッカー選手になりたい」と答えるほどにサッカーもした。

また、当時から鈴木孝幸選手は、

何も周囲に阿ることもなく、器用に動き回り勝気ながら、素直な態度で当時からリーダー的な性格を備えていた。

引用元:cogito

そうです。

まさしく、周りも本人も「特別扱い」ではなく「普通」に過ごしてきたのでしょう。

こうして小学校・中学校・高校と普通の学校で過ごした鈴木孝幸選手は、早稲田大学の教育学部に進学します。

そこから小松洋さんとも離れ、初めての一人暮らしになりました。

しかし「自立できる大人に」成長していた鈴木孝幸選手は、自炊をし、学校に通い、水泳の練習もする。

教習所に通い車の免許も取り、母校で教育実習をし教員免許も取得。

2008年の北京パラリンピックの表彰台でもらった金メダルを、鈴木孝幸選手は小松洋さんの首にかけたそうです。

紛れもなく、鈴木孝幸選手と小松洋さんの長年の二人三脚で勝ち取った金メダルですね!

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