![鈴木孝幸](https://aozora-life21.com/wp-content/uploads/2021/08/unnamed-1-1.jpg)
5大会連続でパラリンピック出場の水泳選手・鈴木孝幸選手。
先天性の四肢欠損で両親から育児放棄される過去を持ちながら、五輪でメダルを取るまでの壮絶な人生を送っています。
そんな素晴らしい功績を残すほどの鈴木孝幸選手の通ってきた軌跡が気になりますね!
今回は、鈴木孝幸選手の出身小学校をはじめ大学までの学歴を生い立ちとともにご紹介します。
鈴木孝幸は三方原小学校出身!
鈴木孝幸選手は、静岡県浜松市北区出身です。
大学で東京に出てくるまで、鈴木孝幸選手はこの静岡県浜松市北区で過ごします。
また、里親の小松洋さんの信念や努力の甲斐があり、鈴木孝幸選手は普通の小学校に通っていました。
鈴木孝幸の出身小学校
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鈴木孝幸選手は三方原小学校の出身です。
浜松市立三方原小学校は、 静岡県浜松市北区三方原にある私立の小学校です。
2021年現在は総児童数が700名を越える、比較的大きな学校です。
明治6年に創立された由緒のある小学校なんですね!
目指す学校像は「知」「徳」「体」の3つを子供にバランスよく育てることだそうです。
鈴木孝幸の小学校時代
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鈴木孝幸選手の里親の小松洋さんの勧めで、6歳から水泳を始めました。
以後、障害者水泳教室「ぺんぎん村」との長い付き合いとなります。
鈴木孝幸選手は小学校で特別扱いされず、他の子供といっしょに学び、遊び、育ったそうです。
遠足も手に靴をはめ歩き、運動会も友達と一緒に走り、鬼ごっこもする。
将来の夢を聞かれれば「サッカー選手になりたい」と答えるほど。
学校側も、鈴木孝幸選手のためにトイレや施設を改装することもなかったそうです。
車椅子からひょいと飛び降り、家と同じように階段の上り下りも
自身の障害を物ともしない生き方は、いったいどのように育まれたのでしょう。
一度、出身幼稚園や生い立ちに遡ってみましょう。
鈴木孝幸はふたば保育園出身!
鈴木孝幸選手は、1987年1月23日に聖隷三方原(せいれいみかたはら)病院で誕生しました。
先天性の 四肢欠損 のためか、両親は鈴木孝幸選手を置き去りにして疾走してしまいます。
そこで当病院関係の聖隷わかば保育園の園長をしていた小松洋さんと出会います。
そして小松洋さんが里親となり、鈴木孝幸選手を育てることとなったのです。
鈴木孝幸の出身保育園
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鈴木孝幸選手はふたば保育園の出身です。
当保育園は、静岡県浜松市北区根洗町645-1に所在しています。
2015年4月から新しく「聖隷こども園わかば」となったようですね。
「子ども自身に生きさせよ」~自分で考え、判断し、行動する子ども~を保育目標としています。
鈴木孝幸の保育園時代
鈴木孝幸選手は、小松洋さんの「自立できる大人にする」という理念のもとで育ちました。
保育園でも特別扱いはされず、他の子供たちといっしょに遊びいっしょに育ったのです。
鈴木孝幸選手は四つん這いになって、他の子供達となわとびをして遊んでいたのだとか。
「やりたかったことは何でもチャレンジしてきた」そうです。
小松洋さんに出会い、このわかば保育園で幼少期を過ごせたのは、鈴木孝幸選手の人生を大きく変えたと言えるでしょう。
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鈴木孝幸は 聖隷クリストファー 中学?
何でも普通にこなしてきた鈴木孝幸選手は、普通の小学校を卒業した後どこに進学したのでしょうか?
鈴木孝幸の出身中学
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鈴木孝幸選手の出身中学校は明らかになっていません。
しかし、高校が中高一貫校の出身であることが分かっています。
なので、鈴木孝幸選手は聖隷クリストファー中学の出身の可能性が高いです。
しかしながら、聖隷クリストファー中学校は2009年に開校されています。
なので、それ以前は別の名前で運営していたかもしれませんね。
鈴木孝幸の中学時代
6歳から始めた水泳も、中学時代に一度離れてしまったそうです。
当時、障害のあるホルン奏者の姿に心を打たれ、中学時代は吹奏楽部に熱中。
フレンチホルンに打ち込み、ホルンは今でも自宅にあるそうです。
帰省した際に気分転換として演奏するそうですよ。
本当に、鈴木孝幸選手は何でもこなしてしまうのですね!
鈴木孝幸は聖隷クリストファー高等学校出身!
そして、鈴木孝幸選手は中高一貫校である高校に進学します。
鈴木孝幸の出身高校
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鈴木孝幸選手は聖隷クリストファー高等学校の出身です。
当校は、男女共学の私立の中高一貫校です。
1966年に聖隷学園高等学校として設置され、2001年に現在の名称に変更されています。
当学校からは、サッカー・プロ野球・バスケ・バレーなどの選手を輩出しています。
鈴木孝幸の高校時代
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中学時代に一度水泳から離れた鈴木孝幸選手。
高校では一念発起。
「一番になりたい」と競泳で世界を志すようになりました。
腕と脚の長さの違う鈴木孝幸選手にとって、まっすぐ泳ぐことさえ難しい競泳。
しかし、水泳教室代表の伊藤裕子さんとともに研究と練習を重ねていきました。
伊藤裕子さんが言うには、鈴木孝幸選手は
「身体の使い方などを提案すれば、何でもやろうとする好奇心旺盛な性格だった」
引用元:静岡新聞
そうです。
幼少期から何にでも挑戦する性格は健在だったのですね!
そして、高校3年の2004年、アテネパラリンピックに17歳で出場。
団体のメドレーリレーで銀メダルを獲得しました!
鈴木孝幸は早稲田大学教育学部出身!
そして、鈴木孝幸選手は自己推薦制度で大学に進学します。
鈴木孝幸の出身大学
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鈴木孝幸選手は、早稲田大学教育学部の出身です。
早稲田大学教育学部の偏差値は62.5~67.5です。
当大学は、東京都新宿区戸塚町1丁目104に本部を構える私立の大学です。
当大学当学部出身の有名人は、芸人の小島よしおさん、フィギュアスケートの荒川静香選手、野球の重信慎之介選手など。
鈴木孝幸の大学時代
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里親の小松洋さんのもとを離れ、大学進学とともに上京し、はじめての一人暮らしが始まりました。
しかし「自立できる大人」に育った鈴木孝幸選手。
自炊はなんのその、自動車教習所に通い運転免許も取得。
母校で教育実習をし、教員免許も取得。
大学時代も競泳の練習に明け暮れ、卒業後の2008年の北京パラリンピックも出場。
この大会で念願の金メダルを獲得し、育ての親の小松洋さんの首に金メダルをかけました。
初出場の2004年から5大会連続でパラリンピックに出場し、好成績を収める鈴木孝幸選手。
2013年からは日本を飛び越え、英のノーサンブリア大学を拠点に勉学に競泳に励んでいます。
これからもチャレンジ精神旺盛な性格で、様々なことに挑戦していくのでしょうね!
人はみな、人生を謳歌するのもしないのも自分次第なんですね!
鈴木孝幸選手のこれからを、陰ながら応援させていただきます。
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