木村敬一

パラリンピックに4度出場し活躍中の木村敬一選手。

水泳選手として自分にストイックで、周りへの感謝も常に忘れない素晴らしい選手です。

なんと、自分を超えるために単身で渡米もしています。

そんな木村敬一選手はどんな人生を送ってきたのか気になりますね!

今回は、木村敬一選手の学歴と経歴を軸に紹介していきましょう。

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木村敬一の学歴!

出典元:AthletePathway

木村敬一選手は、1990年9月11日に滋賀県栗東市で誕生しています。

2歳で全盲になっていますが、活発な男の子だったそうです。

それでは木村敬一選手の小学校から見ていきましょう。

出身小学校:滋賀県立盲学校

出典元:Wikipedia

木村敬一選手は、滋賀県立盲学校の出身です。

当学校は寄宿舎があり、木村敬一選手は小学1年から親元を離れて暮らしていました。

しかし、休みの日には両親が木村敬一選手をいろいろなところに連れ出しました。

家族でスキーやキャンプや自転車など「さまざまな体験をしてほしい」という両親の想いが詰まっていました。

その中で、小学4年ではじめた水泳が、木村敬一選手の人生を大きく変えることになりました。

1つ1つできることが増えていく水泳に夢中になったそうですよ!

出身中学/高校:筑波大付属

出典元:Wikipedia

木村敬一選手は、東京都にある筑波大付属視覚特別支援学校の出身です。

両親の「同世代の多くの子と接することができるように」という願いから、12歳で上京。

ここでの水泳の指導者に恵まれ、ぐんぐんと成長していきます。

そして2008年、高校2年で北京パラリンピックに出場するほどまでに。

残念ながらメダルという結果には繋がりませんでしたが、以後4大会連続でパラリンピックに出場しています。

ちなみに、視覚障害の選手は「タッパー」とよばれる相棒が必要です。

出典元:読売新聞

タッパーは、選手がプールの壁に近づくと頭をポンっと柔らかい棒で叩きます。

これにより、選手はターンのタイミングやレースの終わりを把握できるのです。

しかし、ほんの少しのタイミングのズレで勝敗も大きく変わってしまうのです。

なので、選手とタッパーの息が合うかどうかが大切になってきます。

木村敬一選手はタッパーの寺西先生と中学時代に出会っています。

それから現在まで20年近くの付き合いということですね!

出身大学:日本大学文理学部

出典元:東京ガス

木村敬一選手は、日本大学文理学部の出身です。

大学では、健常者の水泳同好会に入会しています。

ちなみに当大学の水泳部は、これまでに128人のオリンピック選手を輩出しているそうですよ!

木村敬一選手もこの時点ですでにパラリンピック経験者。

きっと水泳仲間としてお互いに感化し合ったことでしょう。

そして2012年、大学4年でロンドンパラリンピックに出場しています。

この時に、銀メダルと銅メダルを獲得してメダリストとなり、旗手も務めました

高校生でパラリンピック日本代表になるのもすごいことですが、大学ではメダル獲得するまでの急成長ですね!

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木村敬一の経歴!単身渡米も

出典元:読売新聞

そんな素晴らしい成績を残してきた木村敬一選手ですが、自身は満足していませんでした

そこで、木村敬一選手は大学卒業後は大学院に進む決心をします。

2013年:日本大学大学院文学研究科へ進学

木村敬一選手は、日本大学大学院文学研究科の教育学専攻博士前期課程へ進学します。

ロンドンパラリンピックでメダル獲得も、さらなる「金メダル」への目標を達成するためです。

日本大学文理学部教授の野口智博コーチに師事。

木村敬一選手は自分の全てをかけて「金メダル」を目標に練習に励みました。

2016年:リオパラリンピック

出典元:毎日新聞

そして3度目のパラリンピック。

2016年、26歳でリオパラリンピックに出場しました。

結果は、銀メダル2つ、銅メダル2つの計4つ獲得!

世間では、この素晴らしい快挙に祝福モードでした。

しかし金メダルを目標にしていた木村敬一選手はこれを「負け」と判断しました。

金メダルだけを目指して厳しい練習を最大限に課してきた結果の「負け」。

自分の最大限の成果がメダル4つなら、筆者としては大満足ですが。

「今までの自分を超えなければいけない」という自信が持てなかった木村敬一選手

環境を変えようと海外へ目を向けます。

2018年:単身で渡米

2018年に木村敬一選手は単身でアメリカへ渡ります。

東海岸のボルチモアに拠点を移して、ロヨラ大学のプールで練習に励みます。

知らない土地に、しかも外国に1人で出向くのはなかなかの勇気がいりますよね!

後のインタビューで木村敬一選手は、この時に様々なことを学んだと語っています。

そこでは「試合=まつり」のように楽しみにしている選手たちを目の当たりにしました。

そして、水泳を始めた頃の純粋な楽しさを思い出すことができたようです。

それから自分のことを自分でコントロールし、自分なりのトレーニング感や軸を鍛えました。

生活環境を思い切って日本から海外に移したのがよかったようですね!

2020年:帰国

2020年、コロナ渦でパラリンピックが延期になり、練習もできなくなった木村敬一選手は帰国します。

一度、実家の両親とともに過ごし、プールが使えないながらも家での練習を積んだそうです。

木村敬一選手の父・稔さんが動画を撮り、選手仲間と共有して励まし合っていたそうです。

5月には再開したプールでの練習に父・稔さんが毎日送迎するなど、二人三脚でコロナ渦を乗り切ったそうです。

そして6月には東京都のナショナルトレーニングセンターに戻り練習を再開しました。

2021年:東京パラリンピック

そして2021年8月、東京パラリンピックが始まりました。

いよいよ「金メダル」に向けて試合が行われます!

今までで計6つのパラリンピックメダルを保持する木村敬一選手。

でも木村敬一選手の経歴を知ると、木村敬一選手の求めるものはメダルの数ではないのは一目瞭然。

今までの成果が「金メダル」という形になるよう、心から応援していますね!

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