女子野球で神戸弘陵のエースとして活躍している島野愛友利(しまのあゆり)選手。
実は中学時代から男子野球の中でも活躍していたのです。
そんな島野愛友利さんは、どんな野球人生を送ってきたのでしょうか?
そこで今回は、島野愛友利さんの経歴をもとに、小学・中学・高校時代の野球エピソードを紹介します。
島野愛友利の経歴①小学時代
島野愛友利さんは、どのように野球と出会い、学生時代を野球に費やしてきたのでしょうか?
エピソード①野球との出会い
島野愛友利さんが野球を始めたのは小学2年の時。
島野愛友利さんの兄2人が先にやっていたことから影響を受け、野球を始めたそうです。
そして兄の所属していた少年野球チームの「西ファイターズ」に入団。
大阪市西区を拠点とする西ファイターズは、30年以上の歴史を持つ野球チームです。
週末の土日と祝日、4年生以上は水曜夕方も練習をし、文武両道を目指して練習に励んでいるそうです。
島野愛友利さんが野球を始めた頃は、練習が楽しくてしょうがなかったそうですよ!
エピソード②6年生で主将
同級生の中では、島野愛友利さんは唯一の女の子だったそうです。
そんな中でも6年生の時には主将を務めていたのだとか。
この時から野球の素質が現れていたのですね!
島野愛友利の経歴②中学時代
男子との体格差が現れてきた中学時代。
野球選手として伸び悩む中学時代だったようです。
エピソード①一度は女子野球に
中学生になり、島野愛友利さんは一度女子野球に飛び込んだそうです。
しかし、よりレベルの高い野球がしたいという想いが募っていきます。
そして自分の投げるボールが男子にどこまで通用するのか試したい気持ちが膨らみます。
そこでまたキッカケとなったのが、兄2人が所属する野球チームでした。
エピソード②兄に続き「大淀ボーイズ」に
島野愛友利さんは、兄2人が所属する「大淀ボーイズ」に入団します。
しかし、男子との体格差がどんどんでき、力では敵わないことを痛感。
男子にように速い球を投げたり遠くまで飛ばすことができないと落ち込んだそうです。
しかし島野愛友利さんは諦めず、野球チーム以外に野球塾にも通いました。
野球塾では投球フォームを研究し、独自のファームを作り上げていきました。
あるインタビューで、島野愛友利さんは
「メジャーで活躍する上原(浩治)選手を見て、速さだけじゃない投球術のヒントをもらった。
引用元:exciteニュース
力がダメなら、力以外の部分を徹底して伸ばしてみたらどうだろうと」
つまり、勝てない「力」で競うのではなく、「技術」で補おうとしたのですね!
このように考えを回せるのはスゴイことですね!
エピソード③エースとして日本一に
島野愛友利さんは、打撃には見切りをつけ投手としての技術を伸ばすことに専念します。
変化球、配球、けん制やフィールディングなど、球速以外の練習を研究・練習し続けます。
その結果、中学3年ではエースとして背番号「1」をつけることになりました。
島野愛友利さんの人一倍の努力を知るからこそ、だれからもやっかみや特別扱いはなかったそうです。
そして中学生にとっての甲子園にあたる「ジャイアンツカップ」に参戦。
そこでチームを優勝に導き、優勝投手として史上初の「女子胴上げ投手」と話題になりました!
男子が占めるチームで、体格も大きく変わる中学時代。
そんな中で、自分の目指すものを見つけ、努力し、チームを日本一にまで導いたのは、素晴らしいの一言ですね!
島野愛友利の経歴③高校時代
中学で投手としての技術を磨き、エースとして活躍した島野愛友利さん。
高校からは男子とともに公式戦へは参加できないため、女子野球へと進みます。
エピソード①女子硬式野球部へ
男子の中で野球に磨きをかけてきた島野愛友利さん。
神戸弘陵高等学校の女子硬式野球部へ進学しました。
高校1年からすでに主戦を任されるほどの島野愛友利さん。
大好きな野球にかけて1年時から背番号「89」を背負っているそうですよ!
女子野球ならば少なくとも力の差がない分、楽だろうと思われます。
しかし島野愛友利さんは
「高校はレベルが高く、壁にぶつかった」
引用元:高校野球ドットコム
と語っています。
特に繋ぐ意識の強い打線への対応に苦労したそうです。
野球は、頭脳戦だったり心理戦だったりするので、一筋縄ではいかないのですね!
エピソード②甲子園で戦う同期を応援
高校2年であった去年2020年は、コロナの影響で大会が中止に。
全力を出しきれない1年だったそうですが、そんな時期だからこそ得たものもあるそうです。
そして、高校3年となり、副主将として挑む全国高等学校女子硬式野球選抜大会。
しかし準決勝で履正社に0対4で敗れ、3連覇を逃してしまいました。
その同時期には、選抜高校野球が甲子園で行われていました。
大淀ボーイズの同期であった京本眞選手、岸野桂大選手、松田龍太選手が出場。
島野愛友利さんも同期を応援していたそうです。
試合当日にはお互いに「応援しているよ」などと連絡を取り合っていたのだとか。
「凄く嬉しかったですし、甲子園で活躍している選手と一緒に野球ができたと考えると凄く誇らしいです」
引用元: 高校野球ドットコム
と、自分が甲子園に立つとは夢にも思わなかった当時。
そのわずか1ヶ月後に、島野愛友利さんのあこがれの甲子園が手に届く距離に近づきました。
エピソード③夢の甲子園出場!
全国高等学校女子硬式野球選手権大会の決勝戦が甲子園で開催されることが2021年4月28日に発表されました。
なんと、島野愛友利さんも兄2人が立った甲子園に立つチャンスができたのです!
「男の子と同じ甲子園の舞台に立てると思っていなかったので、凄く嬉しい気持ちです。
引用元: 高校野球ドットコム
ここまでの舞台を用意して下さったことに感謝しています」
と意気込みを語っていました。
また、島野愛友利さんは
「とにかくチームで優勝することが目標なので、チームを勝たせられるような活躍をしたいです。
引用元: 高校野球ドットコム
チーム力が一番大切だと思っているので、チーム一丸となって、一戦一戦頑張りたいです」
と、チームでの絆や団結を大切にしています。
その思いは、どうやら中学時代のジャイアンツカップでの優勝の経験からだそうです。
「中学生の時にチーム一丸となって勝ったのが印象的で、野球は一人ではできないということを学びました。
引用元: 高校野球ドットコム
野球をしている中では大きな出来事でしたし、優勝しているのとしていないのでは凄く差があったのかなと今は思います」
それほどまでに、中学時代の「 大淀ボーイズ 」での経験や仲間の存在は大きなものなのでしょう!
そしてこちらが、そんな島野愛友利さんの投球動画です!
鋭い球を投げるんですね!
最速123kmだそうですよ!
島野愛友利の経歴④高校卒業後の進路は?
高校卒業後は、女子プロ野球や大学の女子野球など様々な進路が考えられます。
しかし島野愛友利さんは、まだ答えが出ていないそうです。
「女子にとっての甲子園のような場所をつくりたくて、そのためにはもっと注目を集めて女子野球の人気を増やすしかない。
引用元:exciteニュース
それが130キロを投げることなのか、完全試合なのか、もう一度男子相手に挑戦することなのかは分かりませんが、今の私にはそれを実現できるだけの力がない。
この先実力が伴えば、そういう選択肢も見えてくるかもしれません」
女子野球を真剣に考え、人一倍努力してきた島野愛友利さんだからこそ、正直な答えなのでしょう。
甲子園での決勝の成果によって、島野愛友利さんの将来も変わってきそうです。
いずれにしろ、島野愛友利さんの野球に対する素直な気持ちで進んでいってほしいですね!